COLUMN

コラム

「学びを止めない」試みは本当に正しいか
プログラミングは新しい学びのトリガー
【松田孝の「プログラミング教育の夜明け」】
松田 孝

2020/05/07

松田 孝

新型コロナウイルスへの感染拡大防止のために学校の臨時休校が続く中、子どもたちの「学びを止めない」創意工夫ある試みが全国各地ではじまっています。しかし、その試みは本当に正しいのでしょうか。どこよりも早く、小学校でのプログラミング授業を積極的に推進してきた、前小金井市立前原小学校校長で、今は「学び」の実現を目指すシンクタンク代表を務める松田孝先生が警鐘を鳴らします。

「新しい時代」を生きるための力を育む「新しい学び」

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今、子どもたちの「学びを止めない」試みとして、オンライン(同期)による授業配信に大きな注目が集まっていますが、同時にWeb上には、子どもたちがプログラミングに触れられる魅力的なサイトがたくさんあるので、学校や教育委員会には、むしろこのような情報を積極的に発信して、子どもたちがそこに主体的に関わっていけるよう促してほしいと願っています。子どもたちがプログラミングに触れることで、「新しい時代」を生きるための力を育む「新しい学び」を、まさにプログラミングをトリガー(きっかけ)に具現化できるからです。

「新しい時代」の教育を考えよう

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「学校は、子どもたちの生きる未来に責任をもつ教育を展開する場」という命題を否定する人はいないと思います。

子どもたちが生きる「新しい時代」とは、いうまでもなく、Society 5.0の社会のことです。日本が第5期科学技術基本計画で提唱したSociety 5.0という概念は、子どもたちが生きる社会を見事に言い表しています。子どもたちは、現実のフィジカル空間とコンピューターが創り出すサイバー空間が渾然一体となった社会で、経済発展と社会的課題の解決の両立を目指す人間中心の社会の形成者となっていくのです。

これまで日本社会は、国民の不断の努力と勤勉さで戦後の復興から発展を遂げ、そして繁栄を築き上げてきました。その基盤を作り上げたのは、疑いもなく日本の教育制度であり、その中で実施された具体的な教育実践でした。

しかしSociety 5.0の社会がすでに到来している現在、コンピューターがなかった(日常生活や経済活動にほとんど影響を及ぼさなかった)時代に確立された教育理論や授業実践では、もはや「学校は、子どもたちの生きる未来に責任をもつ教育を展開する場」という使命を果たせなくなったとの危機感をもって、国は新しい学習指導要領の基本をコンテンツベース(知識・技能の獲得)からコンピテンシベース(汎用的な学ぶ力)の育成へと大きく舵を切ったのです。

そしてコンピューターが創り出すサイバー空間を学ぶきっかけとしてプログラミングが必修となり、そのためのインフラとしてICT環境(GIGAスクール構想)を整備しようとした矢先に、新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本のみならず世界中が大混乱に巻き込まれているのです。

「学びを止めない」試みは本当に正しいのか

このような状況にあって、今ICT活用による「学びを止めない」試みがかえって旧態然とした授業の再生産となっているのではないか、と私は反発を恐れずに警鐘を鳴らしたいと思います。

現在オンラインによるその同期性に注目した授業配信は、子どもたちをSociety 3.0(工業化社会)の形成者とすべく、アナログ時代の方法として最適解であった一律・一斉の子どもを受動態とする授業を再生産しているのです。

せっかく国が新学習指導要領によって、コンテンツベースからコンピテンシーベスへの学びに舵を切ったにもかかわらず、そしてそのためのインフラとして整備しようとしたICTが、今の多くはSociety 3.0に適合する授業のために活用されているとは、なんと皮肉なことでしょう。

デジタルリテラシーとインテリジェンスを身につける

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プログラミングをトリガーに学びを進めることは、2つの「新しい学び」によってSociety 5.0の社会を生きるために必須の資質・能力を子どもたちに育みます。

一つは、コンピューターとのコミュニケーションの手段としてのプログラミング言語を習得する過程で、子どもたちはデジタルリテラシーとインテリジェンスを育んでいきます。

リテラシーとは識字率のことですが、コンピューターを扱う操作スキルにはじまって、タイピングや検索力を身につけ、自分の考えや思いをコンピューターを介して表現する力を育みます。コンピューターの計算能力は、人間の機能を50億倍も多方面にわたって拡張してくれますから、プログラミングのスキル次第では、ものすごい表現(具体的には災害や医療シミュレーションなど)が可能となるのです。

そしてコンピューターによる多様な表現は、個人情報や情報モラル(著作権をも含む)、さらにはセキュリティなどを子どもたちに切実な問題として意識させることになります。プログラミングを通して子どもたちはこのようなインテリジェンスを育み、先のリテラシーと相まって、子どもたちはコンピューターが創り出すサイバー空間の歩き方を学び、サイバー空間とフィジカル空間とが渾然一体となったSociety 5.0の社会の在り様を学んでいくのです。

従来教科に規定された内容に、子どもたちが生きる未来であるSociety 5.0について学ぶ機会がどのくらい用意されているかを真剣に考え、次期学習指導要領の改訂に向けて教科再編の論議をはじめなければなりません。

変化が当たり前の社会を生き抜く「自己調整」の力

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そしてもう一つは、コンピューターが創り出す変化の激しい社会、いや変化することが当たり前の社会を、主体をもって生きるための力であるコンピテンシーを育みます。OECDや世界各国がさまざまに定義するコンピテンシーですが、私はそのコアに心理学の知見から「自己調整」の力に注目しています。

「自己調整」は、心理学の分野では約20年前から研究が行われていますが、その成果が学校現場の教育実践としては十分に広まったとは言えません。自己調整という概念は、動機づけ・学習方略・メタ認知の3つの要素からなりますが、これらの要素をアナログの教育方法で、またSociety 3.0の社会に適合させることを目的に行われる授業において育むことが難しい、というより子どもたちの心理状況を考えたときに不可能だったのではないかと思っています。

動機づけとは自己効力感であり、学習方略は認知的な側面と情意的な側面から「学び」を進める策であり、メタ認知とは「学び」をモニタリング&コントロールすることです。Society 3.0に適合することを目指した授業において、それが求めたのは無謬論を前提とした効率的な唯一解の獲得でした。

これでは子どもたちが自らの学びをメタ認知(モニタリングやコントロール)したとき、うまく唯一解を獲得できなかった自分自身に恥ずかしさを覚え、それを友だちと共有などしようとは思わないからです。

むしろ失敗することに価値がある

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しかしプログラミングは、決定的に違います。徹底的に試行錯誤すること、そのために粘り強く取り組むことがよしとされ、むしろ失敗することに価値がありますから、そこでの状況を子どもたちは率直にさらけ出せます。一人一人のメタ認知(プログラミングにおける学びの状況)をICTの一覧機能を活用すれば、そこから多様な気付きを共有できます。

とくに学習方略に関わるさまざまな方略(たとえば、学習の整理仕方や負担軽減の方法、メリハリの付け方や時に報酬方略など)は、具体的な学びを進めるヒントとなって自己効能感を高めるとともに、友だちの多様性を尊重する態度の育成につながっていくのです。

私がプログラミングと出会ったのは、2013年です。それから今年で8年目。子どもたちとプログラミング授業を実践してきて、そこで見せる子どもたちの「学ぶ」姿から、教育という営みについて切実に考えさせられる場面に数多く出会ってきました。

最初はそこで行われている学びの事実の意味がわかりませんでしたが、ようやくSociety 5.0における学びのパラダイムと重ね合わせることで、プログラミング授業そしてプログラミング教育の価値を言語化できるようになってきました。

――プログラミングはコンピューターとの豊かなコミュニケーション!
――プログラミングは新しい表現メディア!
――プログラミングは現代の砂場遊び!

だから、

――プログラミングは新しい学びのトリガー、なんだ!!

今、私が考えるプログラミングに関わる上記の命題について、これからその具体をそのときどきの状況に応じてお話ししていこうと考えています。皆様からのご意見、ご感想をお待ちしています。

「学びを止めない」試みは本当に正しいかプログラミングは新しい学びのトリガー【松田孝の「プログラミング教育の夜明け」】
松田 孝

2020/05/07

松田 孝

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