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コラム

プログラミングは「勉強」してはいけない
メンターという言葉に込められた本当の意味
【プログラミング教育のホントのところ】
宮島 衣瑛

2020/06/29

宮島 衣瑛

プログラミング教室では、教え手のことを「メンター」と呼ぶことが多いですが、「先生」とはどう違うのでしょうか。今回は、メンターという言葉のもつ意味や裏側にある考え方の違いについて、あらためて考えてみます。

「先生」と「勉強」・「メンター」と「学び」

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先生と呼ばれる人たちはどんな人でしょう。学校や病院の先生はもちろん、弁護士や議員のことも先生と呼ぶことがありますね。また、作家やクリエイターのことを先生と呼ぶこともあるでしょう。もともと先生という言葉には、尊敬の念が込められています。

学校の「先生(Teacher)」という言葉には、学術的な知識を教える人といった意味合いが含まれています。同じ何かを教える人であっても、たとえばスポーツを教える人はコーチやインストラクターなどと呼ばれたりします。このように、教えるものが何か、どうやって教えるかによって呼び方は変化します。

このように考えると、学校の先生が教えるのは「勉強」と言えます。以前この連載でもお話したとおり、勉強とはもともと「勉めて強いる」が語源であり、大変なことを嫌々取り組むといった意味があったと言われています。明治時代になり、大変なことを苦労してやることを美徳とする価値観が生まれ、現在のような意味に変わっていきました。勉強には受動的な意味合いが強く含まれていることに注目してください。

一方で、メンターにはどのような意味があるのでしょう。メンター(Mentor)の語源は、古代ギリシャのメントール(Mentor)という人物にあると言われています。メントールは、オデュッセウス王の息子の教育係として大変優れた功績を残した人物として記録されており、よき指導者であり理解者であったとされています。

メンターが助けるのは、受動的な勉強ではなく能動的な学びです。学習者一人ひとりに寄り添い、躓いている内容をしっかりと把握して、状況に応じてアドバイスをする存在です。

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プログラミングは「勉強」か「学び」か

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さて、ここで私たちが考えるべき問題は、プログラミングは「勉強」なのか、はたまた「学び」なのかということです。プログラミングスクールや学校で行われているプログラミング教育は、勉強的側面が強いのか、学び的側面強いのか、はたまたそのどちらでもないのでしょうか。

この問いはプログラミング教育を考える上で非常に大きな意味をもつでしょう。そもそも子どもたちはなぜプログラミングをするのでしょう。「作ることが楽しい」以上の答えがあるでしょうか。子どもたちにとって、プログラミングは楽しいからやるのです。誰かに強制されてやるものではありません。

私は、将来役立つからプログラミングを勉強すべきだという意見には反対です。繰り返しているように、勉強は受動的なものであり、受動的な行為から創造性は生まれません。プログラミングという創造的行為は、勉強とは合わないのです。

一方、学びはどうでしょう。子どもたちは楽しみながらプログラミングをしていく中で多くのことを獲得しています。それはプログラミングのやり方からはじまり、科学的な知識や非認知能力に至るまでさまざまです。このような学び方を構築主義(作ることで学ぶ)と言います。私は、究極的な学びは遊びなのか学びなのか見分けがつかないと思っています。遊ぶように学び、学ぶように遊ぶのです。

大切なことは、子どもたちがどのような環境でプログラミングをしているか、ということです。たとえば「変数を使えるようになろう」などのめあてを掲げて変数の使い方のみを一方的に習う授業で子どもたちがやることは勉強です。しかし、自分の作品を作っていく中で、変数が必要になり、自分で試行錯誤を繰り返しながら変数のはたらきを身に着けていくのは学びです。子どもたちの試行錯誤をサポートするのがメンターの役割といえるでしょう。

私たち大人がすべきことは、いま子どもたちにしていることは彼らの学びに寄与しているだろうか、ということを常に問い続けることだと思います。それが本当のメンターではないでしょうか。

プログラミングは「勉強」してはいけないメンターという言葉に込められた本当の意味【プログラミング教育のホントのところ】
宮島 衣瑛

2020/06/29

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